エディが10/6に亡くなった。
早朝に妻からそのことを聞かされた瞬間、一瞬頭が真っ白になり、絶望感が襲ってきた。
最近、あまり音楽を聴かなくなってきたとはいえ、時々無性に「Van Halen」を聴きたくなることがあり、「1st」や「1984」「5150」「FUCK」などを好んで聴いていた。
2020年は、あまりにも悲しい知らせが多すぎる・・・。
しかしながら、そのすべてを受け入れなければならない。
簡単にできることではないが、エディについて振り返りたいと思い、このブログを書く。
エディの個性豊かなギター奏法
さっと思い出す限り、こんなにたくさんあった。
元々ピアノをかじっていたことから、ライトハンド奏法が生まれたのは、超有名な話。
エディ以前は、ジミー・ペイジ?が右手で1回だけ、「ハンマリング・オン→プリング・オフ」を行うだけのものだったが、彼がその動作を連続で繰り返すことで、「タッピング」という技法が完成したわけだ。
さらに、そのタッピングが進化したものが、ボース・ハンド奏法。
(その後、LOUDNESSの高崎晃がボース・ハンドを進化させた。ナイト・レンジャーの8フィンガー奏法なんかもあったな~)
ギター・ソロは、彼のテクニックのオンパレード集なので、何度でも楽しんで見ることができる。
彼から学んだこと
アイデアを具現化する実行力
別の楽器から何かをヒントにして、斬新なアイデアを思いつき、それを具現化し、楽曲に花を添えていく。
新しい奏法を作っても、そこで満足せずに、探求し続け、また別の奏法を生み出す力。
これは才能なんかではなく、そこに「熱」を持って大量の時間を投資したからこそ、生まれたはず。
もちろん、ギターのピッキング、フィンガリングという基礎がしっかりしている彼だからこそ、応用技もうまくいったのだ。
まるで「基本を大事にしながら、情熱を持って自分の信じることに打ち込め!」とエディーに言われているようだ。
本質を追求する大切さ
ギターテクの話ばかりを書いてきたが、実際、音楽家としてもっとも大事なのは「曲」が良いことである。
音楽でいえば、「楽曲」が「名曲」であるかどうか。
テクがあっても、そのテクを披露しているだけでは何も始まらない。
その点、エディーは最高の楽曲を何曲も我々に提供してくれた。
我々は「テク」を身につけ、その「テク」を使って、仕事を通した「成果」で貢献できなければならない。
「新しい技術」を「仕事に活かす」が何よりも大切なのだ。
つまり、ゴール(本質)は何かということだろう。
とことん楽しむ
映像を見るとわかると思うが、彼はいつも「ニコニコ」してプレイを楽しんでいることが伝わってくる。
彼のギターには「泣き」が無いなどという批判もあったが、陽気なアメリカン・ロックに「泣き」を求めるのは相場違いだろう。八百屋に最高の肉を求めてはいけない。
仕事に限らず、笑顔で人生を謳歌したい。
まとめ
2010年に死ぬまでに生で聴きたいギタリストを考えたら、4人候補が上がった。
それが、エディー、ゲイリー・ムーア、ザック・ワイルド、マイケル・シェンカー。
マイケルは、2018年に体感することができたのだが、ゲイリーは2011年に他界。
エディーもこの世を去り、ザックのみが現役となった。
コロナ禍で、Liveを見れる日はまだまだ先になりそうだが、もう、こんな後悔はしたくない。
やりたいことは先延ばしにしないで、ひとつでも多く実現したいと痛感した。
エディー、今までありがとう!!