普段の生活や仕事の時に、「もう、面倒くさい!」と大声を出してしまいたくなることはないだろうか。
私は、毎日のようにある。
「今日は、ゴミ回収日か。ゴミ出し、面倒くさい!」、
「例外処理やログ書き出しを追加しないといけないな。あ~、面倒くさい!」、
「もう家に帰るのも面倒くさいぜ!」などなど。
しかしながら、いつも思うことがある。
自分自身が抱いたこの「面倒くさい」と思って何かの作業をサボってしまったとしたら、結果的に巡り巡って誰かの「面倒くさい」になってしまうことにはならないだろうか。
さらに、その面倒くさいが誰かのところで、その面倒量が倍以上に膨れ上がってしまうとさえ思っている。
想定外を予想しなかったことで、東日本大震災の原発事故にもつながった。
身近な例でも、自分が仕様の確認が中途半端だったことで、データリカバリーを発生させ、メンバーの貴重な時間を奪ってしまった(恥ずかしいことに、今週の話である)。
他にも、チェックを怠ったり、障害や検証記録を正しく記録していなかったり、重要なログを残さなかったりすれば、同じ運命を辿ってしまう可能性が高くなる。
断じて、「結果オーライ!」という能天気な言葉で片付けたくはない。
もちろん、面倒な作業というのは、わざわざ人間がやる必要はないので、自動化すれば良いだろう。
しかし、すべてが仕組み化になっているわけではないはずだ。
いたるところに、手作業でやるべきことがまだまだ多いのが現状だろう。
ぜひとも、「面倒くさい」と思った瞬間に、表題の言葉を思い出してほしい。その面倒くさいが、誰かの面倒くさいを産んでしまうということを。
この言葉の真髄は、「思いやり」「優しさ」にあると思っている。
そこを意識的にでも、想像できる力が、いつの時代にも必要なのではないだろうか。
きっと、あなたの「思いやり」が誰かの役に立つときが来ると信じてほしい。
その誰かとは、未来の自分かもしれないし、まだジョインしていない未来の仲間かもしれない。
自分の一つひとつの仕事が、必ず誰かの役に立つと考えるだけで、ワクワクしてこないだろうか。
人を幸せにすることで、きっと私達も幸せになれるはずだ。そう信じている。